ヒュポスタシス・ラーディキーヤ・ラオディケイア・アポリナリオス

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ヒュポスタシス・ラーディキーヤ・ラオディケイア・アポリナリオス


「ヒュポスタシス」は4世紀後半から5世紀にかけてのキリスト論の議論より以前からすでに専門用語として使われていた。キリスト教以前にギリシア哲学、中でも主にストア派がこの言葉を使っていた[4][5]。「ヒュポスタシス」は新約聖書(特にHebrews 1:3)の中でも何度か使われており、それによって後の時代のこの語の専門用語としての理解がもたらされた。この語は語義的には「実体・本質」を意味するが、このことがかなりの混乱を引き起こした[6]。例えば、アレクサンドリアのキュリロスはヒュポスタシスを(父や子、聖霊のような)個体、個別者の意味で使っているのに対して、キュリロスの論争相手だったキュロスのテオドレトスはヒュポスタシスを(神性や人性のような)ウーシア(本質)の意味で使っている[7]。そのため今日ではこの語はしばしば「位格」と訳される。これは実際的・具体的な自立存在を指し、プラトンのイデアのような抽象的なカテゴリと対比される。

第1ニカイア公会議では父と子が同一本質であり、ともに不生不滅であると宣言された。この信条がニカイア信条と呼ばれている。

歴史を通じて
Template:キリスト論 ラオディケイアのアポリナリオスが初めてヒュポスタシスの語を使って受肉を理解しようとした[8]。アポリナリオスはキリストの神性と人性の結合を一つの本性に一つの実体―一つのヒュポスタシス―を持つものとして表した。

ネストリオス派の モプスエスティアのテオドロスは別方向に進み、キリストにおいては二つの本性(神性と人性)、二つのヒュポスタシス(「実体」つまり「位格」の意味で)が共存すると主張した[9]。

カルケドン信条ではテオドロスに同意して受肉における二つの本性の存在が認められた。しかし、カルケドン公会議では三位一体の定義に用いられるときと同様の用法でヒュポスタシスの語が用いることが主張された。つまり、ヒュポスタシスを位格の意味で使い、アポリナリオスの使ったような本性という意味では使わないことが主張された。

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