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――また、あのひとは来るのかしら?
わたしは今日も猛稽古で疲れている。
芸妓として恥ずかしくない振る舞いを身に着けるために、文字通り血を吐くような思いで。
それでも文句ひとつ言わないのは、今宵も会えるかもしれない彼のため。
……わたしよりも年下なのに、ずっと大人びた不思議な少年のため。
「和子!例の客だよ!」
母がわたしを呼ぶ。
――やはり、来てくれた!
わたしは出来る限り急ぎ足で座敷に出る。
そこにいたのは、本当に、彼だった。
どこか陰のある微笑みで、一目でわたしを魅了した、あのひと。
「こんばんは」
彼は未成年なのでお酒は飲めない。
彼の連れ、というよりも彼の方が連れなのだろう。
どう見ても成人済みの客がわたしをいつものいやらしい目で見る。
――もういや!
こんな家に生まれなければ、こんな重いなんてしないで済んだのに!
……そんなわたしを見かねたのか、彼は一通りの舞を披露した後のわたしに優しく囁く。
それはどこか悪魔のささやきの様でもあったけれど、彼の口から出る言葉ならば何でも受け入れようと思った。
「一緒に逃げないか?」
「……え?」
彼の言っていることの意味が解らない。
「嫌なんだろ?」
わたしはやっと彼の言いたいことを察して、無言で頷く。
既にできあがっている連れの男は放っておいて、わたしと彼は忍び足で抜け出した。
いつものわたしならば足がすくんでいただろうけど、彼と一緒ならば大丈夫だという不思議な確信があった。
そして辿り着いた河原で、はじめて彼の素顔を見る。
――なんて、優しそうで、頼りになりそうなひと……。
わたしがそうやってぼんやりしていると、不意に彼が呟いた。
「その着物、似合うな」
わたしは急いで自分の着物に目をやる。
それなりにいいものを着せてもらっているという自覚はあった。
「茜色の夕陽。……もしも子供が生まれたら、名前は『茜』だ」
「そんな……気のはやい」
わたしは思わず笑っていた。
どこまでも型破りなこのひとを、ずっと待ち続けていたのかもしれない。
風が吹いた。
「……『茜』、ね」
わたしはまんざらでもない気持ちで、まだ見ぬ『娘』の姿に想いを馳せた。
++
茜という名前は、母親の和子さんが着ていた着物の柄と、出産の時刻から来ています。
そんな裏設定の話でした。
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――また、あのひとは来るのかしら?
わたしは今日も猛稽古で疲れている。
芸妓として恥ずかしくない振る舞いを身に着けるために、文字通り血を吐くような思いで。
それでも文句ひとつ言わないのは、今宵も会えるかもしれない彼のため。
……わたしよりも年下なのに、ずっと大人びた不思議な少年のため。
「和子!例の客だよ!」
母がわたしを呼ぶ。
――やはり、来てくれた!
わたしは出来る限り急ぎ足で座敷に出る。
そこにいたのは、本当に、彼だった。
どこか陰のある微笑みで、一目でわたしを魅了した、あのひと。
「こんばんは」
彼は未成年なのでお酒は飲めない。
彼の連れ、というよりも彼の方が連れなのだろう。
どう見ても成人済みの客がわたしをいつものいやらしい目で見る。
――もういや!
こんな家に生まれなければ、こんな重いなんてしないで済んだのに!
……そんなわたしを見かねたのか、彼は一通りの舞を披露した後のわたしに優しく囁く。
それはどこか悪魔のささやきの様でもあったけれど、彼の口から出る言葉ならば何でも受け入れようと思った。
「一緒に逃げないか?」
「……え?」
彼の言っていることの意味が解らない。
「嫌なんだろ?」
わたしはやっと彼の言いたいことを察して、無言で頷く。
既にできあがっている連れの男は放っておいて、わたしと彼は忍び足で抜け出した。
いつものわたしならば足がすくんでいただろうけど、彼と一緒ならば大丈夫だという不思議な確信があった。
そして辿り着いた河原で、はじめて彼の素顔を見る。
――なんて、優しそうで、頼りになりそうなひと……。
わたしがそうやってぼんやりしていると、不意に彼が呟いた。
「その着物、似合うな」
わたしは急いで自分の着物に目をやる。
それなりにいいものを着せてもらっているという自覚はあった。
「茜色の夕陽。……もしも子供が生まれたら、名前は『茜』だ」
「そんな……気のはやい」
わたしは思わず笑っていた。
どこまでも型破りなこのひとを、ずっと待ち続けていたのかもしれない。
風が吹いた。
「……『茜』、ね」
わたしはまんざらでもない気持ちで、まだ見ぬ『娘』の姿に想いを馳せた。
++
茜という名前は、母親の和子さんが着ていた着物の柄と、出産の時刻から来ています。
そんな裏設定の話でした。