エクシリアには考えさせられた。

エクシリアには考えさせられた。



エクシリアをプレイして、どうにもモヤモヤした気持ちが残ったのは

単に叔父さんが好きだから疑問に思ったというのではなくて

というか、一周目は叔父さんにそんなに興味無かったんでそれとは関係ないんですけど・・・


色々と「(^ω^)?」ってなる部分はまぁどんなゲームにもあるもんで、

キャラクターの性格だとかそういったものは好みの問題なのでそれはいいとして。


1つ、ゲームの根幹部分でもの凄く疑問に思ったことがあって。


信念のために戦う者が、生きるために戦う者に主張する「正義」とは何ぞや?


この一点に尽きます。




☆以下エクシリア語り☆


 

手段は褒められたことではないにしろ、アルクノアは生きるために戦った。

彼らに話し合いの機会など無かったことは小説で出ました。

何で攻撃されるのかも分からないうちから襲撃されていたと。


生きるための戦いって、もう最低限のことじゃないですか。

戦わなければ死んでしまう、生きていけない、

戦いを放棄することは死だ、滅亡だ、という状況にまで追い込まれている人間に対して

同じく生存のために戦うというのならそれは分かるんです。

それは生存競争そのものだから。


でも対する者は生存のためでなく「信念のために」、自らの信じる「正義のために」戦った。


この部分が、私はどうしても呑み込めない。


彼らの「信念」や「正義」のために、生きるために戦うものは生きる機会すら奪われるのか?と。


あるいは生存競争なのか?とも思ったりもしたんですけど、

後半、「民の幸せとは何か」みたいな話が出るじゃないですか。


ここで、あ、やっぱ次元の違う戦いだったんだわと思って。


エレンピオス人が「どうやって生き残るか」を考えているとき、

リーゼ・マクシア人は「幸せとはなにか」を考えている。


この差の残酷さったら無いなと。


この手の問題は現実世界にこそ溢れ返っていて、もう手の施しようが無いくらい無残な有様なのに

それをゲームでも再現するのか・・・まじかー・・・と。


たかがゲームと言ってしまえばまぁそうなんですけども、

そこの価値観というか認識と言うか、自分がそういった問題に対してどう思っているかという部分を

再確認させられました。


私自身は、誰に対して行っても「正しい」と思えることといえばアンパンマンの作者やなせさんが仰っていたように

「飢えから救ってやること。腹いっぱいにしてやること」だけだと思っているので

エクシリアをプレイしてホントにめちゃくちゃ考えさせられました。


アンパンマンの正義はバイキンマンを倒すことではなく、子供たちを飢えから救うことなんですよ。

私自身が望む正義や信念も、結局はそれなんですよ。


だからねー、ほんと、やるせない気持ちになりました。はい。



皆さんはどう思われましたか?



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